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ギヤマンの神門「尾山神社」


日本歴遊記vol.12

 #歴遊旅 #尾山神社 #前田利家 #お松 #神門 #金谷神社

ギヤマンの神門「尾山神社」へ歴遊旅をしてきました。


尾山神社を訪れて、まず、目を引くのは、鳥居の後ろにそびえる異様な建物「神門」です。


ギヤマンとは、ガラス細工のことで、尾山神社の神門の第三層は四面五彩のギヤマン張りです。非常に珍しく、金沢市のシンボルのひとつです。


尾山神社を目指して香林坊から歩きます。

香林坊地蔵尊


天成8年(1580年)、向田兵衛が、現在の香林坊の地で薬種商を営み始めます。比叡山の像であった縁者の「香林坊」を婿養子に迎え、店名も香林坊にしました。ある夜、兵衛の夢枕に立った地蔵尊のお告げにより処方した目薬が、前田利家の目をの病を治し、香林坊は大いに名を上げたのです。この事から夢で見た地蔵尊を造り、店の小屋根に安置したところ、商売が繁盛しました。大火の時、この辺りで火が止まった事から「火除け地蔵」とも呼ばれています。

尾山神社について


▼御由緒

初代加賀藩主「前田利家」と正室「お松」を御祭神とする神社です。二代藩主「前田利長」が利家を仰ぎ神として祀ろうとしましたが、外様大名の立場で徳川幕府の許可なく、公然と神社創建に踏み切ることができませんでした。そこで、守護神としていた物部八幡宮ならびに榊葉神明宮を遷座する名目で、卯辰山麓に社殿を建立し、利家公の神霊を合祀しました。廃藩置県後、明治6年(1873年)に、歴代藩主の別邸であった金谷御殿跡に現在の尾山神社が建立されました。

御祭神


①前田利家(まえだとしいえ)

②お松

御利益


勝ち運、商売繁盛、社運隆昌、家内安全、病気平癒

蚊母木(いすのき)


樹齢200年を余りの御神木で、この地方では、非常に珍しい樹木です。

神門(重要文化財)


和・漢・洋折衷様式の神門は、異国情緒あふれる造りで、参詣者は神門に心奪われて、見とれてしまいます。第三層目に設置された避雷針は、日本最古のものです。

明治8年の建築。

夜バージョン

前田利家公像


織田信長に仕えた青年時代は赤母衣衆として従軍しました。槍の名手で「槍の又左」の異名をもって敵軍に怖れられました。織田軍団の母衣衆は、佐々成政を筆頭とする黒母衣衆が10に、前田利家を筆頭とする赤母衣衆が9人存在しました。

お松の方像


前田利家の正室。

尾張出身で、12歳の時に9歳年上の前田利家と結婚しました。学問や武芸をたしなむ才能豊かな女性であったと伝えられています。戦国烈女の鑑で、加賀百万石の母と敬われてきました。


唐沢寿明さんと松嶋菜々子さんが演じた平成14年NHK大河ドラマ「利家とまつ 加賀百万石物語」にもなった人物です。武家が統治した時代における夫婦としては、源頼朝と北条政子、豊臣秀吉とねね、といったような武家を代表する夫婦です。

東神門


▼旧金沢城二の丸の唐門

明治3年以来旧卯辰山招魂社前にあったものを、昭和38年に境内地に移築しました。金沢城で唯一残る桃山御殿様式の門です。金沢城は火災がとても多い中、この門は難を免れてきました。それは、門に彫刻された二匹の龍が水を呼んだためとの伝説が残されています。

神苑


旧金山御殿の庭園

築山池水回遊式の庭園で、江戸末期に作庭されました。三つの島と橋があり、書院庭園の面影を残しています。

さし石(力石)


前田家よりの拝領石

古くより若者達が、この石を担いで力と技を競い合いました。かつて、加賀地方で盛んだった「草相撲」と並んで人気の力比べ遊びです。この石を触ると健康になるといわれ、神社に参詣する多くの人々が、健康を祈願しました。

摂社「金谷神社」


二代藩主前田利長公をはじめ三代から十七代までの藩主、当主と正室(夫人)をお祀りしています。

豊臣秀吉亡き後、前田利家は天下を取りに行けたものの、親友であった秀吉の遺言を守り、愚直に秀頼の成長を見守りました。


「律儀な男」前田利家、現代の戦国ファンからも大変人気の高い戦国武将です。

金沢巡り。


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