· 

夢窓疎石ゆかりの虎渓山「永保寺」


日本歴遊記vol.13

 #歴遊旅 #永保寺 #虎渓山 #鎌倉時代 #夢窓疎石 #国宝

鎌倉時代を生きた夢窓疎石ゆかりの虎渓山「永保寺」に歴遊旅をしてきました。


永保寺のある多治見市は、岐阜県の南部に位置し、近年の夏は、40℃超えを記録する「日本一暑い町」として1・2を争う有名な街です。


古墳時代から「やきもの文化」が栄えた多治見は、織部・志野・黄瀬戸をはじめとした美濃焼の生産地です。


昔から窯の火の番をする陶器工達が、窯の熱さで消耗した体力を回復するために、スタミナがつく鰻を好んで食べたことから、多治見の名物として、今も鰻屋さんが多い街です。


まずは、虎渓山に向かう前に、鰻でスタミナ補給をします。

うなぎや


安政6年(1859年)から続く創業150年の鰻屋


外はカリカリに焼かれていて、中はふっくらの鰻に、創業から継ぎ足してきた秘伝のタレは、美味でした。


近くにある多治見氏ゆかりのスポットをご紹介します。

多治見国長邸跡


多治見国長は、鎌倉時代末期に活躍した武将です。後醍醐天皇の鎌倉討伐計画に参加するも、一族の妻の密告により計画が発覚してしまい、京都の宿所を軍勢三千余騎に包囲され、わずか20人で戦った末に非業な最期をとげました。

それでは、虎渓山を目指します。

 

永保寺


▼縁起

正和2年(1313年)、「夢窓疎石」が「元翁本元」ほか7~8人と旅の途中、この地に魅せられ、隠棲の地として庵を結んだのが開創といわれております。

 

▼創建

正和2年(1313年)

 

▼山号

虎渓山

 

▼開基

夢窓国師(疎石)

 

▼開山

仏徳禅師(元翁本元)

 

▼宗派

臨済宗南禅寺派

黒門と鐘楼



方丈と庫裡



国指定史跡庭園と無際橋(むさいきょう)


此岸(煩悩にまみれた世界)と彼岸(煩悩から解放された世界)を結ぶ橋。無際とは限りのないという意味で、此岸も彼岸も表裏一体ということを表しているようです。

六角堂


梵音岩の上に建てられた六角堂内には、多くのお地蔵様が祀られています。六角堂の千体地蔵は、強力なスピリチュアル・パワースポットと言われております。


鎌倉の瑞泉寺を思い出しました。

開山堂(国宝)


夢窓国師の死後1年の文和元年(1352年)に建立されました。開山堂は寺の創始者・開山を祀る建物です。現存するものでは、永保寺開山堂が最古とされています。開山「仏徳禅師」の墓があり、その前に、夢窓国師と仏徳禅師の像が安置されています。

南北朝時代の遺構。

観音堂(国宝)


正和3年(1314年)夢窓国師が虎渓山に来て1年目に建立されました。永保寺の伽藍の中では、最も重要な仏殿に当たります。鎌倉円覚寺の舎利殿とともに鎌倉末期の禅宗様建築の代表的な遺構です。桧皮葺の屋根は伸々として大きな軒反りを見せています。

室町時代の遺構。

大銀杏


樹齢700年を超える大銀杏は、仏徳禅師お手植えの木として、言い伝えられ大切にされています。

臨済宗の本山と開祖


唐代の禅僧臨済義玄を開祖とし、日本には鎌倉時代に栄西禅師が伝え、次いで大応国師によって広められました。現在の日本には、臨済宗14派があり、虎渓山四ヶ寺は、京都の南禅寺を本山とする南禅寺派の寺院です。


南禅寺は五山の上という禅宗寺院最高の寺格を賜り、五山文化の中心にありました。

保寿院(ほじゅいん)


永保寺の塔頭では最も古い。

永保寺第三世の果山正位禅師(かざんしょういぜんじ)により1341年に創建され、他の塔頭寺院と共に永保寺の護持にあたりました。

続芳院(ぞくほういん)


「玉霄正深(ぎょくしょうしょうしん)禅師」により創建されました。塔頭寺院として、永保寺の輪番をつとめ護持にあたってきました。

徳林院(とくりんいん)


「天霖正濡(てんりんしょうじゅ)禅師」により創建されました。毘沙門尊天像が古くから開運の祈祷像として信仰をあつめています。

夢窓疎石が設計した庭園は、国の名勝が多く、瑞泉寺(鎌倉)、西芳寺(京都)、天龍寺(京都)、恵林寺(山梨)などがあります。ここ永保寺の庭園も自然の地形を巧みに活かした中世禅宗寺院の庭園として、非常に高い価値がありますので、東濃の旅で訪問してみて下さい。

多治見巡り。


鎌倉六伝説の旅


当社のガイド観光ツアー「鎌倉六伝説の旅」へご参加お待ちしております。

 

あなたの知らない鎌倉へ

 

Web予約はこちら